<< 音楽はいいものだ MAIN 夏の風物詩 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています



- | | - | -
それぞれの進む道
文章の書けない夜もあるよな。
7月18日に違う場所で更新した文章。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 昨日高校時代の友達が集まって大宮駅西口の「しちりん亭」という焼肉兼お好み焼き屋さんで食事をしたのだけど、そんなに変わっていなかったので安心した。大学に行ったりとか専門学校に行くことによって皆だいぶ変わっちゃったんだろうなだなんて想像していたのだけど、髪の色だとか長さが変わったくらいで他はなんら変わっていなかった。環境が人を変えることもあるけど、変わらないこともあるんだよね。

 場所を移して駅前のコンビニで酒を買って話をした。そこで、将来の話という真剣な話になってそれぞれの目指している職業だとかを話し合った。警察官、記者、声優、企業を起こす…。それぞれの胸の内には目指すものがあって、それに向かっていろんな形での努力をしているのだというのが改めてわかった。

 「自分の納得の行く大学にいっていろんなコネクションを作り、自分が企業を起こす時に役立つような人脈を作る。そして、人を使う側として自分より優秀な部下を集めるのだ」と一人の友人は言っていた。彼は、人生設計を30までにして建てているのだと言う。人生設計は長く見れば見るほど内容が薄くなる。短く建てれば、今からその時までにやることの濃さが違ってくるのだという。彼には30までの人生設計ができているようだ。

 俺はどうだろう。人生設計というものを考えたことがなかった。そんな時の「将来について」の真剣な質問。俺はとっさに「作家、もしくは文章を書くライターなどの仕事」と言った。確かに、夢ではある。しかし、本当に漠然とした夢だなと俺は思った。
 人生設計のできている彼は言った。「お前はよく本を読んでいるだろ。小説とかでもいいんだ。今、本を読むのと10年後20年後に本を読むのとでは全然違う。今、本を読むと言うことを辞めるなよ」と言った。

 どうなんだろう。自分の興味のある本を読むことが自分の将来への糧となっているのだろうか。確かに文章を書く仕事を目指すのならば、さっきまで本を読み、今ここで思ったことを文章にするということは大切なことなのだろう。でも、将来に向かっての人生設計ができていないのに、ただ黙々と毎日パソコンに向かい文章を打つと言うことに意味はあるのだろうか。
 人によって捕らえ方が違うから、意味のあることだと言う人もいれば、何をこの先して何を目指すのかをはっきり決めないでやるということは意味のないことだと言う人もいるのだろう。俺はどう思ってるんだろう。

 これは趣味の延長でもある。そして、現実世界からの逃げ場所でもある。あの時言えなかった事、あの時感じた事、それを文章にしている。どうしようもない想いや、どうしたらいいかわからない気持ちを文章にすることで心の中のモヤモヤを排除しようとしているのかもしれない。
 俺は放任主義なのかもしれない。責任を回避してうまくやってきている。他人にできるだけ迷惑をかけない。テスト勉強だとか自分のみに降りかかる責任などにはできるだけ関わらないで、なんとなくで今までやってきている。相談事なんかもそうだろう。人の相談を受けると言ってはその人の気持ちをかき混ぜるだけかきまわして、「最後には自分が決めるんだから、俺には何もできないよ」見たいな事を言う。なんて無責任なんだろう。

 だから、自分の将来にも自信が持てないのだろう。いや、もしかして悩んでいるつもりになって、実は全然悩んでなんかいないのかもしれない。そういうフリをしているだけなのかもしれない。
 そして、最後にはこう言うのだろう。「最後には自分で決めることなんだから」

 先延ばし先延ばしにしてきたことを決めなければならない時は、もうとっくにやってきているのかもしれない。


こんなことをちょっと前に書いてるけど、結局変われないでいる自分。時間というのは刻一刻と過ぎていく。限りある時間の中で、人は何かを目指して足を進めている。俺はどうだろう。今日も寝てばかりでたいしたこともやっていない。

こういうことを考えている時間だって本当は無駄なのかもしれない。そう思っても変わらないでいる。変わることだけがいい事じゃない。キレイゴトみたいな事を言ってるんだけど、変わることも必要、今の自分は駄目か。そんなのわかんないよ。自分のことなんてわかんないよ。

自分のやりたい事が何なのか。それも未だにわからないでいる。何がしたい? 何ができる?

夢? 夢って何だろう。作家になること。ミュージシャンになること。絵をうまく描くこと。気持ちを素直に伝えられるようになること。人を好きになることを忘れないこと…

駄目だ、やっぱうまく書けない
永瀬の文章 | 02:28 | comments(4) | trackbacks(0)
スポンサーサイト


- | 02:28 | - | -
コメント
二人ともコメントありがとうございます。

考えてみると、何かをやっている時っていうのは
辛いとかいう気持ちもありながらも充実していたと思う。
大学受験が終わってバイトをしていた頃週5で働いていた時、
本当にそれ以外の事とかを考えていなかったかもしれない。
卓番を覚えたり、料理に付けて持っていく物を覚えたり
酒の配分を覚えたり…
人と接する事の難しさを知ったし、逆に楽しさも知った。

やっぱ外にいることが大事なんだよね。
二人の体験談からもそれは確実だと思うし
やっぱ家にいるだけじゃ本当に変わらない。
外に出よう。

とにかく何かやってみます。
多分、バイトになるんだろうけど
何もやらないで家にいるよりかは自分のためになるし、
自分のために使えるお金も手に入る。
動かなきゃね。



ありがとう
from: 永瀬 | 2004/08/09 12:34 AM
二人ともコメントありがとうございます。

考えてみると、何かをやっている時っていうのは
辛いとかいう気持ちもありながらも充実していたと思う。
大学受験が終わってバイトをしていた頃週5で働いていた時、
本当にそれ以外の事とかを考えていなかったかもしれない。
卓番を覚えたり、料理に付けて持っていく物を覚えたり
酒の配分を覚えたり…
人と接する事の難しさを知ったし、逆に楽しさも知った。

やっぱ外にいることが大事なんだよね。
二人の体験談からもそれは確実だと思うし
やっぱ家にいるだけじゃ本当に変わらない。
外に出よう。

とにかく何かやってみます。
多分、バイトになるんだろうけど
何もやらないで家にいるよりかは自分のためになるし、
自分のために使えるお金も手に入る。
動かなきゃね。



ありがとう
from: 永瀬 | 2004/08/09 12:28 AM
僕も微量ながら、コメントさせて頂きます。

僕も一時期、引き篭もりになりそうになった
時期があって。
僕のサイトのテキストを読んだ人は
知ってると思いますけど、それは社会人に
なってからで。
本当にその頃は辛くて。何もしたくなくて。
毎日を何となく過ごしてた記憶があります。
しかし、ある日親父にこんな事を言われて。

「お前、アルバイトでも何でもいいから
何でもやってみろ」

親父のこの一言で僕は変われたように思います。
今年の2月まで勤めていた会社に
アルバイトとして入り、その会社で色々な事を
経験して・・そんなことがあったからこそ、
今の会社でも充実した毎日を送れてるんだと
思いますし、コレも親父のあの一言が
あったからこそだと思ってます。

そしてそれまで、何の目標もなくダラダラと過ごし、
将来に希望も何も持ってなかった僕にとって、
社会に出て一番最初に出会ったあの出来事は
良い刺激になったと思います。
そのお陰で自分自身の心構えも変わり、
それが見た目の変化へと繋がったようにも
思います。

たかさんのコメントをちょっと借りますけど、
とにかく外に出て、バイトでも何でもいいから
何かをやってみる。
そうして自分なりに精一杯頑張っていけば、
自分にとっての刺激も多くなると思いますけど、
それ以上にプラスになる部分もきっと出来てくる。
僕はそう思ってます。

そして僕自身、今までの人生を後悔してません。
・・まぁ、まだ24年しか生きてませんが・・
でも、これからも前向きに。プラス思考で
頑張っていきたいですね・・・

長瀬君も、色々大変なことも
あるかと思いますが・・頑張って下さい。
僕も応援してますよ。

from: まさしろ | 2004/08/08 6:55 PM
僕の話をしよう。
永瀬には少し話したことあるね。
今の永瀬を見ていると、文章を読んでいると
自分とかぶることが多々ある。
だから話をしよう。

中学生の頃。中2の時、親父が鬱になった。
その時、少年で自分が弱かったこともあり
登校拒否になってしまった。
そこから騙し騙し学校に行く日々。
中学は行かなくても卒業できる。
でも先を見た時、高校はでないと・・そんな気持ちが自分にあったから。
受験勉強は、全くしなかった。
自慢というわけではないが、中2の時点でそこそこ頭はよかった。だから全く勉強しないで、高校受験をした。
程度の悪い高校を選んだ。
この先も考え、とりあえず卒業できればなんだっていい。
そう思った結果、選んだ高校だった。

高校1年生。父の病状も落ち着き、中学での登校拒否が嘘のように毎日学校にいけた。
高校2年生。父の病気が再発、登校拒否。
そこからは、かなり苦しかった。
俗に言う引き篭もり。
何度高校を辞めようと思ったか。
でも高校はでなくちゃいけない。
将来にはなんの保障もない。
うちの家は自営業で、西洋骨董の仕事をしてた。
その仕事を継げばいい。そんな保険はあった。
でも、なんの保障もない。自営業だから。
だから高校はでなくちゃいけない。
そんな葛藤。

騙し騙し行った。母親にはかなり迷惑をかけただろう。
親父も、僕もこんなんで。精神的にかなりきつかっただろう。

卒業。普通の人ではなんともないことだろう。
僕にとっては、すごい頑張った結果だった。
自分の精神力がただただ弱いだけで引き篭もりになっただけなのに。

高校卒業後。在学中は、学生という立場。
学生をいう立場が終わると単なる引き篭もり。
なんの夢もなかった。ただ単に生きているだけ。
なんの目標もなく、なんとなしに1日が終わり
また新しい1日がくる。そんな日々だった。

見るにみかねた父親。その当時は、
病状も安定してたから。

店に来い。店にくるだけでいい。
商品を磨いたり。雑用をしろ。

そう言われ毎日店にくりだす。
外に出るとなにかが変わるもの。
視野が広がり、今まで死んでた自分が生き返ったように思う。

そこから自分が変わった。
次第に元気になっていった。
元に戻った。
考えが前向きになり、年老いた父親を助ける日々がはじまった。
西洋骨董だから、買い付けは海外。
ヨーロッパが主。
その他に宝石も扱っていたから、その他の国々にもいっていた。

飛行機に何時間も乗り異国の海外に行く。
父は英語もしゃべれなかったから、精神的にもきつかったのではないのか。
でも仕事。目利きに関してもすごい人だから。
でも買い付けだから、重いものを買うと自分で運ばなくてはいけない。年老いた体。それはキツイ。
だから、海外に自分自身も同行した。

いつかは自分ひとりで海外にいけるように。
必死になって目利きも勉強した。
18歳の1年間、頑張って目利きを勉強した。

19歳、一人でミャンマーにいく。
1ヶ月間。宝石の買い付け。

帰ってきて後、一人でイギリス、フランスに行く。
2週間。

一人でルーマニアに行く。3ヶ月間。
ルーマニアを拠点とし、イギリス、フランス、トルコ、ブルガリア。

イギリス、フランスは骨董がたくさんある。
トルコは絨毯。ブルガリアは薔薇の香水。
ルーマニアは・・。

アジアでは中国が精巧な偽者を作る国とするならば
ヨーロッパでは、ルーマニア。

そもそもルーマニアにいったのは、ブランド(?)品の
レプリカを作るためであったのだけど。
ま、そんな話は、ここでは、あまり関係のないことだから、とっぱらって話をしよう。

18で修行をし、19の殆どを海外で過ごした。


が・・バブル崩壊後の日本。
自分が年終えていった後の日本。
高価なものを売る骨董で食べていけるのか?
そんな疑問はあった。
そう考えたとき、骨董・・やめておいた方がいいかな
という結論。考えて考えて、考え抜いた結論だった。

20の自分。
夢なんてなにもなく。
家にいるのも、なんか・・だよな。
バイトをしよう。コンビニの深夜にバイトをした。
どんなことをするのにでもとことんする自分。
店長の次に権力をもつぐらいになっていた。

そのバイトは約半年間続けた。
やめた原因として、バイトには、これ以上
上のポジションは存在しないし、深夜の生活にも飽きた。
そろそろ昼に仕事をするのもいいな。

そこから、パチンコ屋のバイトをした。
パチンコは、全くやったことがない人間。
そんな人が、そんな所にいく。
店の人には不思議がられたけど、時給がいいから。
そんな単純な理由で選んだ。

そこから3ヶ月が過ぎ
・・・夢ができた。

その時21歳。

18の頃から何気なしにネットをしていた。
パソコンをしていた。
パソコンの知識なんて全くない。
ネットをしていただけだったから。
当時は自分のサイトもなかったし。

18の頃からのネット友達。
今では大親友の彼なのだが。

そんな彼が、ネットで知り合った人と共同で
会社をしようかそんな話が当時あった。
彼は、新潟の人。 会社をするかと話をしてた人は福岡。

福岡に行ってIT企業をしよう。
そんな話。
ネットで会社設立のための会議をする。
チャットでの連日の会議。
二人は、どんどんと話を進める。

よし。はじめよう。

ほぼ設立の話が固まっていたぐらいのとき。
横から首をつっこむ。
無償でいいから。手伝わせて。
そんなお願い。

なにげなくネットをしてた日々だったけど
パソコンというものに惹かれてた自分。
これでなにかしてみたい。
そう感じていたときのこと。
HPを作ってみたいけど、作り方はわからない。
簡易ソフトでは、見栄えの悪いものならなんとかできるけど
かっこいいのを作りたい。だから参加したい。
そう感じてのことだった。


それから福岡では会社が立ち上がった。
新潟の彼は福岡へと飛び、福岡の人は、仲間数人を集めていた。
総勢4人という本当にベンチャーという感じ。

僕はというと、とりあえずお金をためよう。
パチンコ屋で働いていてそれなりの貯蓄はあったけども
これじゃ足りない。とりあえず貯めよう。

そこから半年間。
頑張って貯めた。
150万円。

それを手にし、バイトを辞め、福岡にいく。
本当に無償でいいから。
だから手伝わせて。
その思いで行った。

本当に無償だった。
笑ってしまうほどの貧乏生活。


そこからは頑張って勉強した。
足手まといにならないように。
勉強した。
いつかは、ちゃんとしたHPを作れるようになりたい。
WEBデザイナーになるんだ。

そこから1年。無償で働いた。

貯金が底をついた頃。
一応、それなりのWEBデザインはできるようになっていた
自分。でもこの先どうしよう。
このまま無償でいくのも厳しすぎる。
どうしようと考えていたとき・・

1本の電話が入った。

パチンコ屋で働いていた時の上司だった。
(今の会社の上司でもある人なのだが)
なにかなと思い出てみると。


こっちで知り合いが会社をはじめるんやけどな。
映像編集の会社なんやけど、編集する人と、ジャケットの
デザインをする人を探してんねん。
お前デザインせんか?

そんな電話。
どんなジャンルの仕事?AV?
関係ない。WEBデザインもそこそこできるように
なっていたし、デザインの仕事がなによりも好きだったkら、なんのためらいもなく和歌山に戻った。


そして今に至るわけなんだけど。

今現在、付き合いのある印刷業者の方、
クライアントさん、そして会社の人にも言われることなんだけど、配色がうまい。

これは天性のものなんだと同業者の人にも言われる。
なんでなんだろ?と考えたとき、幼い頃から
骨董を見ていたからではないのか?
という結論に至る。

僕の場合、すごい強運の持ち主で、巡り合わせだけでここまできたと思う。

歩んできた道の中で、何一つ無駄なものなどなかったと思っている。


今現在、うちが出している作品は月に30タイトルぐらい。
それらのタイトル、キャッチコピーの9割は僕が決めている。

テキストサイトをし、毎日文章を書いている。
こういったことの繰り返しにより、人より文章を考えるのはうまいし、よくでてくる。
それらを評価され、社長、クライアントから、
お前が決めろと言われ、決めている。
完全に任されている現状。


全ての経験が今に繋がっている。
おもしろいぐらいにいい出会いを繰り返し
今がある。

パソコンを真剣にやりだしたのは21歳の頃で、
22まで無収入だった僕だし、23から今の仕事をしだして、そこからまた新たな人生が始まった。

なにが無駄でなにがいいのかなんて誰にもわからない。
ただ僕の場合は、おもしろい具合に全てが繋がっている。

夢なんてなにもなく毎日どうしていいかわからない日々だったし。

僕の場合は、外にでてから世界が広がった。

なにが無駄でなにが意味があるのかはわからないけど
なんでもやってみることが重要だと思う。

無駄な時間を過ごすのも時には楽しい。
だけど若いうちは無我夢中に動くというのが大事なのだと思う。
家でゴロゴロしてる暇があればバイトでもいいから
外へでろ。
そうすればなにかが生まれるはずだから。

だから前を見て頑張って欲しいと思う。
人生なにがおこるかわからない。
それは僕自身も体験して思っている。

でも何が起こるかわからないというポジション。
外にいるということが大事なのだ。

外へ出よう。
なんでもいいからし続けよう。
頑張れ。応援してるよ。
from: たか | 2004/08/08 3:11 PM
コメントする








トラックバックURL :
トラックバック
RECOMMEND ITEM
RECOMMEND ITEM
グレイテスト・ヒッツ
グレイテスト・ヒッツ (JUGEMレビュー »)
クイーン, フレディ・マーキュリー, ジョン・ディーコン, ブライアン・メイ
COMMENTS
CALENDAR
<< October 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
SEARCH BOX

SPONSORED LINKS
検索
マイサーチ 全体